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富山地方裁判所 昭和40年(ヨ)54号 判決

申請人 株式会社山田温泉元湯玄猿桜 外一名

被申請人 富山県

訴訟代理人 林倫正 外四名

主文

本件仮処分申請を棄却する。

申請費用は申請人両名の連帯負担とする。

事実

第一、申請人らの主張

(申請の趣旨)

「被申請人は、申請人らとの間に山田川について、水利権の補償に関する話合が成立するまで、富山県山田東部地区開拓パイロツト事業計画に基く室牧発電所から若土ダムに至るまでの、還流隧道よりの坂水工事をしてはならない」との判決を求める。

(申請の理由)

一、紛争に至るまでの経緯

(一) 申請人株式会社山田温泉元湯玄猿桜(以下「申請人会社」という。)は、富山市内からバスで約一時間の、富山県で最も古い温泉である山田温泉に所在して温泉旅館を営むものであり、申請人湯本圭子(以下「申請人圭子」という。)は、申請人会社の営む温泉旅館の泉源とその地盤を所有している。山田温泉は山田川下流沿にあり、山田川の水圧によつて湧出する温泉で、申請人会社のほか二、三の旅館はあるが、元湯のある申請人会社が殆んどこれを独占している。

(二) 被申請人は昭和三一年ごろ、山田川と大長谷川の水資源の総合開発をはかるため、井田川総合開発事業計画(以下「井田川計画」という。)をたてた。すなわち、別紙図面記載のとおり山田川上流百瀬川の水を、菅沼にダムを築造して、そこから隧道により井田川上流の大長谷川に放流し、大長谷第二発電所を設け、さらにその下流に仁歩、室牧の両発電所を建設し、右流域変更による山田川の流量減少に対しては、室牧発電所から分水して還流隧道により山田川に築造の若土ダムに戻して放流し、必要水量を供給する計画である。

(三) 右計画に対しては、申請人らを始め山田川下流域の山田温泉および山田村の住民は反対していたが、被申請人は、昭和三二年二月一八日、被申請人と山田村との間に取り交した覚書によつて、山田温泉および山田村の既得水利権者との話合は終つたとし、申請人らに対しなんら話合や補償をすることなく、前記若土ダムから山田川への放流量を一方的に常時毎秒一、五トンと決めた。しかし申請人らは、右覚書に調印の山田村村長に右のような代理権を与えたことはなく、かつ、地方公共団体の長が取り交した覚書によつて住民が拘束されるいわれはない。また、被申請人は同年一〇月二五日、富山県知事に対し富山県令第六〇号発電水力使用規則二条による利害関係者の承諾書または協議のてん末書も添付しないで山田川上流百瀬川の水利使用を申請し、許可を得たうえ井田川計画に基く隧道、ダムを完成し、昭和三六年四月ごろから山田川の流域変更による還流が始められた。

(四) ところが、菅沼ダムにおいて取水した山田川上流百瀬川の水は、前記計画のように室牧発電所からの還流隣道によつて若土ダムヘ全部還流されず、その流水量は少量で特に農閑期には全く還流されず雨期その他によつて室牧発電所のダムが満水時にのみ還流される状態になつてしまつた。

(五) 山田川流域変更前は、山田川上流に北陸電力の発電所があつて自然分水によつて本流の三分の一程度の水を使用し、その使用後の水を外輪野用水(通称音川用水)に放流していたが、山田温泉所在の申請人らの山田川下流における流水量は豊富であつた。従つて、申請人圭子が所有し、申請人会社が利用している温泉の湯の湧出量も多く、また温度も高かつたし、申請人圭子が被申請人より許可を受けていた自家用発電も可能であつた。さらに、申請人会社は飲料水も山田川から充分取水することができ、夏は涼しく魚取りの温泉客もあつて水流についての観光価値も豊かであつた。

ところが流域変更後は、前記のとおり流水量は減少し、かつ、不安定となつたばかりでなく、水圧をさまたける堆砂が著しくなつてきた。そのため従前とは逆に、泉湯の湧出量は減少し低温になつて、発電も不能となり、飲料水の取水も困難になるばかりか観光価値も減少して誘客に大きた影響を与えるに至つた。

二、被保全権利

(一) 申請人圭子は温泉権のための慣行水利権および自家用発電のための許可水利権を有する。

1 温泉権のための慣行水利権

申請人圭子は、富山県婦負郡山田村湯、下逃戸一、〇一八番地湧出の元湯泉源、同村湯、下逃戸山湧出の猿の口上り湯泉源および同村湯、下逃戸一、〇一七番地の二湧出の元湯第二号泉源の泉源地所有者として温泉権を有し、右温泉は寛永年間以来、多年にわたり山田川の流水を利用しその水圧によつて湧出させてきたものである。そして、山田村はもとより被申請人もその慣行を認めてきたものであつて、申請人圭子は山田川の流水を排他的かつ独占的に利用する慣行水利権を有する。

2 自家用発電のための許可水利権

大正三年六月三日、湯本善治が被申請人より五キロワツトの自家用発電のため山田川の流水使用の許可を受け、その後申請人圭子の先代湯本正久に名義変更の許可があり、同人がこれを承継してきたところ、右正久が死亡したので、申請人圭子がこれを相続した。そこで、昭和三四年三月一四日、申請人圭子は被申請人に対し水利使用権者の名義変更申請書を提出し、以来、被申請人は申請人圭子あてに水利使用料の納入方通知があつたので、同人においてこれを支払つてきた。ところが、昭和四〇年三月二〇日、申請人圭子が被申請人に対し右発電のための流水使用期限の伸長許可申請をしたところ、本件仮処分申請が出されていたことにあわてて、被申請人は申請人圭子が正久の権利義務を承継していないことを理由に右申請を受理しなかつた。しかし、前記のとおり申請人圭子は、自已あての水利使用料納入通知によつて、昭和四〇年度分に至るまでこれを支払つてきたのであるから、被申請人の右行為は無謀といわざるを得ず、申請人圭子において自家用発電のため山田川の流水を使用する許可水利権を持つものと考える。

(二) 申請人会社は、温泉利用権のための慣行水利権、飲料水のための慣行体利権および観光のための慣行水利権を有する。

1 温泉利用権のための慣行水利権

申請人会社は、昭和三五年六月七日より申請人圭子の前記温泉を被申請人の許可を受けて利用する権利を有する。従つて、申請人圭子同様山田川の流水を利用する慣行水利権を有する。

2 飲料水のための慣行水利権

申請人会社は、大正三年ごろより山田川の流水を利用して、これを浄化し、旅館の飲料水、雑用水として使用してきた。昭和三〇年ごろには、当時の価額で金一五〇万円を投じて飲料水のための取水工事をした位で、慣行として飲料水を山田川より取水する水利権がある。

3 観光のための慣行水利権

温泉旅館のような一種の観光事業を川岸で営むものは、当該河川について観光水利権をもつているといわなければならない。申請人会社は、前記のとおり山田川に沿つて所在し、夏は涼しく清流を眺められるところに特徴があつた。石川県江沼郡山中町拓野町の山中温泉が、大聖寺川上流の石川県の発電工事計画に対し、観光水利権を被保全権利として工事中止の仮処分申請を裁判所に提出したところ、これが認容されたという事実によつても観光水利権が慣行として認められていること明らかである。

三、保全の必要性

前記一記載のとおり、申請人らを無視した被申請人の井田川計画に基く山田川流域変更により、その下流の流水量は減少し申請人らは相当の損害を受けているところ、さらに被申請人は井田川総合開発事業の一環として、また前記被申請人と山田村間の覚書により山田東部地区開拓パイロツト事業計画(以下「パイロツト計画」という。)をたて、昭和三九年八月八日これを告示した。右計画によれば、山田村東部地区開田のため、別紙図面記載のとおり記前室牧発電所から若土ダムに至るまでの還流隧道より取水しようとするものであり、仮に右のような取水工事をするならば、山田川下流の流水量は現状以上に減少し、申請人らの有する水利権を侵害すること明白であつて、申請人会社においては温泉旅館としての営業に支障をきたし、回復し難い損害を受けること必至である。上流における取水は、下流の水利権者に対する承認または補償があつて始めて可能であるのにかかわらず、これまで同様被申請人は申請人らに対しその承認はもとより補償に関する話合をすることさえしない。被申請人が山田川流域の唯一の水利権者とみなしている音川用水組合に対してもその承認を受けていない。パイロツト計画は山間部の新規開田を目的としているものの、そうした計画自体既に過去における農業政策に属するものであり、仮に開田されるとしても近年における農業人口の減少とあいまつて、そのような効率の低い農地を耕作するものはなく、結局これは国からの補償を得て、一部既存の農地に対するかんがい用に供せんとすることを第一の目的としているように考えられる。そこでこの計画に対し山田村湯部落および上中瀬部落は反対しているのであり、こうした反対があれば、土地改良法においては土地収用法の適用がないから、右計画による用水路を湯部落に通すことは不可能であり、その事業遂行は不能となる。従つて、農林省の係においても、被申請人に対しパイロツト計画は山田温泉や地すべり地帯への補償の話合が成立してから着手するよう通達ないし勧告を与えている。地方農林省はパイロツト計画による取水につき、山田温泉下流もしく引水距離の短い室牧川からの取水方法を考えているよ5であり、右のように計画を変更することが望ましい。

ところが、被申請人は、昭和三九年度予算の都合上、山田村湯部落の一部の承認をとつて、あえて右工事に着手するよ5指導し、現に着手しようとしている。そこで申請人らは被申請人に対し、前記水利権に基いて妨害予防または排除の訴を提起するため準備中であるが、被申請人のパイロツト計画に基く工事着手によつて受ける著しい損害を避けるため、申請の趣旨のよう液仮処分を求めるものである。

第二、被申請人の主張

(答弁の趣旨)

主文第一項同旨の判決を求める。

(申請人らの主張事実に対する認否)

一、次の各事実は、いずれもこれを認める。

申請の理由一の事実中、申請人会社が富山市内からバスで約一時間の山田川下流沿の山田温泉に所在し、温泉旅館を営んでいるが、元湯のある申請人会社が温泉旅館として殆んどこれを独占していること、被申請人が申請人ら主張のとおり井田川計画を策定したこと、昭和一一三年二月一八日被申請人と山田村との間に取り交した覚書によつて、山田温泉および山田村の既得水利権考との話合は終つたとして、富山県知事に対七申請人ら主張のとおり水利許可申請をし、許可を受けたうえ、井田川計画に基く隣道、ダムを完成して、昭和三六年四月ごろから山田川の流域変更による還流が始められたこと、山田川流域変更前は山田川上流に北陸電力の発電所があつたこと、申請の理由二の事実中、亡湯本正久が自家用発電のため山田川の流水使用の許可(許可使用水量毎秒〇、二一トン以内)を受けていたこと、申請の理由三の事実中、申請人ら主張のとおワ、被申請人がパイロツト計画をたてこれを告示したこと、および還流隧道より取水する計画であること、また湯部落に用水路を通す計画であること。

二、次の各事実はいずれも不知。

山田温泉が富山県で最も古く、水圧によつて湧出する温泉であること、申請人圭子主張の泉源が、その所在地番にあること申請人圭子と申請人会社との間に右温泉の利用関係があること。

三、申請の理由事実中、以上の各事実を除いた部分は総てこれを否認する。

(被申請人の反駁)

一、紛争の経緯

(一) 井田川計画による山田川流域変更については、申請人ちとの間に事前に話合があり、補償済である。すなわち、被申請人と山田村間の覚書に関連して、当事山田村を代表する山田村村長および山田村議会と、申請人圭子の親権者でかつ、申請人会社の経営者湯本綾子との間に、事前に話合が行われた。このことは右覚書第一六項に温泉の保護対策および観光施設の振興にづいて規定されており、かつ右覚書交換の翌日である昭和三二年二月一九日富山市桜町金八旅館において催された山田村交渉関係者の慰労会席上に祝酒を贈つている事実によつて明白である。また、右覚書により被申請人は、山田村村長に対し補償金として金五〇〇万円を支払済であり、さらに申請人らの要望もあつて昭和三七年一一月ごろ、山田砂防ダム嵩上工事および擁壁工事を施行し、温泉保護対策を構じている。

(二) 井田川計画において、被申請人は若土ダムより山田川本流への放流量を一方的に決定したことはない。これは山田川流域の関係二四水利団体および山田村村長を含む関係六町村長で構成されている山田川流域総合開発期成同盟会の積極的な要望事項に基くもので、そこで被申請人は若土ダムにおいて、常時毎秒一、五トン、かんがい期においては最大毎秒七トンまでの流水量(以下既定放流量という。)を確約したものである。なお、既定放流量は、若土ダム上流の山田川の自然流水量と還流隧道により還流された流水量を合算したものである。

(三) 井田川計画による山田川流域変更の結果、山田川下流の流水量は、過去に比べてむしろ安定している。すなわち、被申請人が若土ダムにおいて、昭和三八年および昭和三九年の両年を調査した結果によれば、既定放流量以上の流水量を観測している。古来、申請人らは泉源地付近で木さくをもつて山田川の流水を堰止めしていたが、しばしば洪水によつて流失または破壊されたので、その熱望により被申請人は昭和二六年ごろ、元湯泉源付近に山田砂防ダムを構築し、さらには、前記のように昭和三七年一一月ごろ、砂防ダム嵩上工事を施行しているので、その流水量は従来より豊富に貯溜されることになつた。また、堆砂については、昭和三〇年ごろ、既に山田砂防ダムの高さにまで達していたもので、山田川流域変更によつて生じたものではない。仮に、堆砂が申請人ら主張のように泉源に影響があるとしても、申請人圭子において、被申請人より泉源および発電用水源施設保護の目的で、山田砂防ダム上流約九二八平方メートルにわたり河川敷地の占用許可を受けているのであるから、所要の手続を得てこれを排除することが可能である。

二、被保全権利

申請人ら主張の被保全権利は次のとおりいずれも存在しない。

(一) 温泉のための慣行水利権

申請人らの温泉は、水圧温泉であると主張するが、元富山県温泉審議会委員であつた富山大学助教授近藤堅二の調査によれば、複雑にして多岐な自然状態の中では、流量、地下水、ガス、温泉水が微妙な相互関係にあるので、このうちの二、三の要目のみを抽出して、機械的に相関を単純な論理で取上げても無意味であると結論しており、ちなみに、昭和四〇年五月二〇日の検証の結果(当裁判所昭和四〇年(モ)第一七三号証拠保全申請事件におけるもの。)において、これをもつて申請人らの泉温が低下し湧出量が減少しているとするならば、同月一日から当日までの若土ダムにおける山田川への放流量は毎秒六トンないし一二、一トンと観測記録されていることに徴し、既定放流量を遙かに超えているにもかかわらず泉温が低下し湧出量が減少しているということにならざるを得ない。従つて、山田川の流水量と申請人らの温泉とは無関係であつて、水圧温泉と断定することはできない。

仮に申請人らの温泉が水圧温泉であるとしても、申請人ら主張の水利権は、地下水の一種である温泉を排他的に直接利用する権利(温泉利用権)をいうものではなく、地表水流たる山田川の流水を温泉のために利用の対象としているというに過ぎない。しかし、当地方においては、このような流水利用権が古来、慣行として存在している事実はない。また別に温泉利用のために河川法による流水占用許可を受けているわけでもないから、権利としての水利権は存在しない。

(二) 自家用発電のための許可水利権

自家用電燈のため、山田川筋発電用水利使用の許可を受けていたものは、亡湯本正久である。そのうえ、右許可期限は昭和三九年六月二日までであつて、既に消滅している。

(三) 飲料水のための慣行水利権

古来、山田村住民の間には、山田川の流水を飲料水として使用している慣習はなく、一般自由使用として洗濯、水浴等に利用しているに過ぎない。飲料水は山間の水源地より湧出する地下水を、横穴集水溝によつて家毎に導水うえ取水するか、または井戸水を使用している。申請人会社も同様であつて、その飲料水は、横穴集水溝および山田川を横過する導水管によつて地下水を取水しており、申請人会社に飲料水取水の許可水利権はもとより慣習法上の水利権も存在しない。

(四) 観光のための慣行水利権

河川のような自然公物について、申請人会社主張のような観光のための水利権を認めた法令もなく、また、古来、こうした水利権を認めた慣習も存在しない。そもそも観光水利権と称しても、それは慣習法上の公物使用権の範ちゆうに属するものではなく、有形の利益とはいえない。すなわち、申請人会社主張の水利権は、具体的な個人的利益を内容とするものではなく、抽象的にして感情的な事実関係を内容とするものに過ぎず、法によつて保護されるべき法的利益ではない。

三、保全の必要性

仮に、申請人ら主張の被保全権利たる水利権が認められるとしても、次のとおりその保全の必要性がない。

(一) パイロツト計画による本件取水工事をしても、申請人らの山田川下流における流水量に影響はない。すなわち、右計画は、かんがい期にのみ最大毎秒〇、三トンを取水するのみで、かつ、右取水量は若土ダムにおけるかんがい期の最大毎秒七トンの既定放流量以外に、室牧発電所から還流隧道に増放流させる計画だからである。井田川計画による山田川流域変更後は、山田川の流水量は前記のように安定し、申請人らの元湯泉源付近の出田砂防ダム堰提を常時溢流しており申請人らに必要な流水量は充分確保されている。

(二) 1 パイロツト計画は、山田村東部地区の農地を造成し、農業構造を改善して自立経営の育成をはかる国の農業政策に呼応し、農林大臣の事業実施の承認を受け、土地改良法に基いて事業実施の手続が進められてきた。すなわち、昭和三八年九月七日、土地改良事業参加資格者より富山県知事に対し、パイロツト事業を県が行うべきことの申請をなし、同年一〇月二六日、右申請にかかる土地改良事業の適当なることの決定がなされた。昭和三九年四月一一日、被申請人は右計画について外輪野用水組合を含む山田川流域関係の二四水利団体および山田村村長ら六町村長の同意を得、申請人らに対しても、井田川計画の際これを了承していたが、同月中旬より再三、再四話合いを続けてきた。そのため、右事業は昭和三九年度かち同四〇年度に繰越すの余儀なきに至つた位である。とも角、パイロツト計画は富山県知事において申請人ら主張の日時に公告され、昭和三九年八月八日から同月二七日までの間、山田村役場において右計画の写を縦覧に供した。しかし、右計画決定に対する異議申立期間中、その申立がなかつたので、本事業計画決定は確定した処分となつた。

2 パイロツト計画は、総事業費一億五、二四四万円で、昭和三八年度から着手し昭和四二年度に完了の予定であるが、その農業経営改善の構想は、受益農家一〇六戸を対象とし、六九町六反の新規開田により一戸平均七反を増反し、山間部における農業所得の向上を期するものである。その工事期間は最低四月を要し、同事業施行区域は山間地で冬季の工事が困難なため、早急に着工する必要がある。そればかりでなく、右事業が前記のとおり繰越事業であるため、昭和四〇年度に施行しなければ、国の予算上、その実現は難しくなり、国の重要施策の一環である農業構造改善事業は、ここに頓挫する結果となる。申請人ら主張のように仮に湯部落が反対していても、右事業は土地収用法三条五号および六号に該当し、同法一六条、一七条一項一号などの所定の手続を経て、必要な土地収用は可能である。

3 若し右工事の着工が遅延すれば、国、被申請人、山田村、および受益者の受ける精神的、物質的損害は計り知れないものがある。すなわち年間の工事費の増高額は一、三三三万六、〇〇〇円にのぼり、植付不能による米の損害額二、一四二万一、〇〇〇円、立木伐採に伴う損害額(一、〇三八万円の五分の一年分)二〇七万六、〇〇〇円、地元賃金損失額(労務費五、六〇〇万円の地元調達分七割の五分の一年分)七八四万円計四、四六七万三、〇〇〇円の損害となり、この外、開田予定地では、既にその山林、原野に生立する立雑木の伐採を終え、昭和三九年度分地元負担金八四万二、〇〇〇円を納付済である。

4 申請人ら主張の水利権は私権のように絶対的排他的なものではたく、かつ、河川の流水は公共用物として、一般公衆の用に供されるべきものであるから、当然に他の公益のためにするある程度の制限は許容しなければならないもので、その利用権の内容は、使用目的を充たすに必要な限度に止まらなければならない。従つて、その既得権を侵害しない限りにおいて、同一公物のうえに、本件の如く他人が新たに使用権を取得したとしても必ずしも常に権利の侵害となるものではない。

第三、疎明と書証の認否〈省略〉

理由

一、先ず、申請人ら主張の被保全権利の存否につき順次判断する。

申請人会社が富山市内からバスで約一時間の山田川下流沿の山田温泉に所在し、元湯をもつところから温泉旅館として、山田温泉を大体独占していることは、当事者間に争いがない。

(一)  温泉のための慣行水利権

申請人圭子が被申請人より泉源施設保護の目的で、山田砂約九上流防ダム二八平方メートルにわたり河川敷地の占用許可を受けていることは、被申請人の認めるところであり、これと成立に争いのない疎甲第四号証、第六号証の一の(ハ)、第六号証の二、申請人会社代表者本人尋問の結果を併せ考えると申請人圭子は右占用許可により富山県婦負郡山田村、湯字下逃戸一、〇一七番地先山田川岸において、引湯施設の埋設、および床上現状保護により申請人圭子所有の三ヶ所の泉源地から温泉採取行為が許可されていることが疎明される。さらに成立に争いのない疎甲第一号証、第五号証、第九号証、疎乙第二、三号証、第七号証、申請人会社代表者本人尋問の結果によつて真正に成立したことが認められる疎甲第七号証の一、二、証人頼成力夫、同稲田健治、同千沢鶴蔵、同山田尚幸の各証言、申請人会社代表者本人尋問の結果を総合すると、右温泉は数百年以来の歴史をもつ県内最古の温泉で、山田川の流水量と密接不可分の関係があり、その水圧によつて湧出するものであつて、昔から右泉源によつて温泉宿が営まれ、昭和三四年ごろから申請人会社がこれを引継ぎ現に営業しているものであること、右温泉のため、旧富山藩時代からその許可を得て、川中に堰止めを設けて泉液の流散を防ぎ、明治一〇年七月六日右堰止めが流失した際も富山県知事の許可を得てこれを復旧し、昭和三一年ごろ山田村において右温泉保護のため、泉源付近の山田砂防ダムの堰提一帯の土砂排除作業を行つたことが一応認められる。そればかりでなく被申請人においても右温泉の保護対策として昭和二六年ごろ、山田砂防ダムを構築し、さらに昭和三七年一一月ごろ砂防ダム嵩上工事を施行したことが明かである。

以上の諸事実によれば、申請人圭子は温泉採取権者として、申請人会社は右温泉により温泉旅館を営むものとして、いずれも相当長期にわたり反覆継続して山田川の流水を利用してきたばかりでなく、これに対し山田村始め被申請人においても、温泉のための流水利用を単に正当なものとして暗に承認するに止まらず積極的に温泉保護のために援助すらしてきたことを一応認めることができ、従つて申請人らは単に右流水を使用する自由を有するに止まらず、それ以上に右温泉に必要な限度において慣習法上の流水利用権を取得するに至つたものといわなければならない。

(二)  自家用発電のための許可水利権

亡湯本正久が山田川の流水を使用して自家用発電の許可水利権を有していたことは当事者間に争いがない。そして右許可使用水量が毎秒〇、二一トン以内であり、申請人圭子は発電用水源施設保護その他の目的で、山田砂防ダム上流約九二八平方メートルにわたり河川敷地の占用許可を受けていることは、被申請人の認めるところであり、成立に争いのない疎甲第六号証の一の(ハ)、第六号証の二、第二七号証の一ないし四、疎乙第一九号証、証人頼成力夫の証言および弁論の全趣旨を総合すると、湯本正久は昭和二一年四月二一日戦病死し、申請人圭子が同人を相続したが、被申請人よりの右水利使用料の納入告知書は正久あてにきていた。そこで申請人圭子は被申請人に対し、申請人圭子に名義変更の申出をしていたが、依然として改められなかつたので、昭和三四年三月二四日被申請人あてに書面で右変更を申し出たところその後の水利使用料は、申請人圭子にあてて納入告知がなされ、以来同人においてこれを納入してきており、昭和四〇年三月一二日付納入通知による昭和三九年度下期分も既に納入済であること、被申請人は申請人圭子に対し、昭和三四年五月一日、前記のような発電用水源施設保護のため河川敷地の占用を許可し、さらに昭和三七年四月二八日、右許可期限を昭和四二年三月三一日まで更新することを許可したことが疎明される。以上の事実によれば、申講人圭子は亡湯本正久の地位を承継し、自家用発電のため、前同様の条件をもつて、山田川の流水を使用する許可水利権を持つに至つたものといわなければならない。

もつとも、成立に争いのない疎乙第一九号証、疎甲第二七号証の五、証人頼成力夫の証言によれば、亡湯本正久に対する許可水利権の許可期限が昭和三九年六月二日までであつたところ、昭和四〇年三月二〇日、被申請人は申請人圭子よりの右期限伸長許可申請を受理しなかつたことが疎明されるが、被申請人において、右期限伸長につき、公益その他特別の必要性により、これを拒否する格別の事由について疎明がないばかりか、前記認定の諸事実に徴すると、右申請不受理は相当でないといわなければならない。

(三)  飲料水のための慣行水利権

証人頼成力夫、同山田尚幸の各証言、申請人会社代表者本人尋問の結果によれば、申請人会社の飲料水は昔から外輪野用水および山間の水源地より湧出する地下水によつて取水している外、昭和三〇年五月ごろ新たに改善したろ過設備によつて、山田川の流水からも取水してきたことは一応疎明される。しかし申請人会社の飲料水取水のための山田川の流水使用は、単たる利益に止まり、これを水利権として認めるには申請人会社の全疎明その他本件全疎明資料によるもこれを認めるに足りない。

(四)  観光のための慣行水利権

成立に争いのない疎甲第四号証、申請人会社代表者尋問の結果によれば、申請人会社の温泉旅館としての建物が山田川の両岸にまたがつて所在することが認められる。しかしこのことから直ちに、申請人会社において山田川の流水を観光のために利用する権利があるとみることはできず、それは権利でなく単に反射的利益として申請人会社において享有しているに過ぎないものと解するのが相当といわなければならない。

二、次に保全の必要性につき判断する。

(一)  昭和三二年二月一八日被申請人と山田村との間に井田川計画について覚書を取り交したことは当事者間に争いがない。成立に争いのない疎甲第一号証、第四号証、証人山崎久義、同浅名源重の各証言によれば、右覚書交換前に、当時の山田村村長関一雄を始め、同村議会副議長山崎久義らが右覚書に関連して申請人会社の前身である山田温泉旅館を訪れ、種々交渉を重ねたこと、右覚書に山田温泉開発および既設泉源の保護対策などを期することが規定されていること、右覚書交換の翌日右山田温泉旅館より右交渉の労をねぎらつて関係者の慰労会席上に酒が贈られたことが疎明され、以上の事実によれば、申請人会社の前身たる山田温泉旅館および申請人圭子は、右覚書に同意していたものと一応推認される。右疎明に反する証人頼成力夫の証言は信用できないし、他に右疎明を覆すにたりる疎明資料はない。

(二)  井田川計画により、昭和三六年四月ごろから別紙図面記載のとおり山田川上流百瀬川の水を、菅沼ダムから隧道により井田川上流の大長谷川に放流し、それを室牧発電所から還流隧道により若土ダムに戻して山田川に放流する還流が始められたこと、パイロツト計画によれば別紙図面記載のとおり右還流隧道より取水する計画であることは当事者間に争いがない。成立に争いのない疎甲第一号証、疎乙第一一号証、証人若林章二、同山崎久義、同浅名源重の各証言によれば、井田川計画によつて若土ダムから山田川下流に放流する水量は、前記(一)記載の覚書により山田川の自然流水と合わせて、常時毎秒一、五トン、かんがい期にはそれを最大毎秒七トンと定められていること、パイロツト計画によつて還流隧道より取水する水量は、最大毎秒〇、三トンでその時期はかんがい期に限られていること、また、異常渇水時においては、既存の山田川流域水利権者のため、右取水を中止することもあること右〇、三トンの水量は、井田川計画より若土ダムから放流させているかんがい期の最大毎秒七トンの水量の枠外に、室牧発電所から還流隧道に増放流させることによつてこれを確保する計画であることが一応認められる。以上の事実によれば、パイロツト計画自体についてみる限り、若土ダムから山田川下流への流水量は下流沿岸民の権益に支障のない範囲で確保され、その取水によつて申請人らの水利権を侵害するようなおそれはないものといわなければならない。ちなみに、井田川計画による右既定放流量につき検討してみると、その方式および趣旨により公務員が職務上作成したものと認められるから真正な公交書と推定すべき疎乙第五号証、第九号証によれば、昭和三八年一月より昭和三九年一二月までおよび昭和四〇年五月一日から同月二〇日までの間、いずれも既定放流量が確保されていることが疎明され、右疎明に反する頼成力夫の証言は信用できないし、他に右疎明を覆すにたりる疎明資料はない。

(三)  進んで当事者双方の利害得失を比較考量してみるに、パイロツト計画が山田村東部地区の開田をはかるものであることは当事者間に争いがなく、成立に争いのない疎乙第一三号証の一、二、その方式および趣旨により公務員が職務上作成したものと認められるから真正な公文書と推定すべき疎乙第一二号証、証人浅名源重の証言および弁論の全趣旨を総合すると、パイロツト計画は土地改良法に基き総事業費一億五、二四四万円で受益農家一〇六戸を対象とし、六九町六反の新規開田により一戸乎均七反を増反し、山間部における農業経営を改善し農家所得の向上を期するものであつて、既に繰越事業のため予算上、早急に着工する必要があり、若しこれが遅延すれば多数の地元民が著しい損害を受けるであろうことが疎明される。これに反し、申請人圭子の自家用発電許可水利権の許可使用水量は、毎秒〇、二一トン以内とされていることは前記のとおりであるが、成立に争いのない疎乙第二二号証、証人頼成力夫、申請人会社代表者本人尋問の結果によれば、差しあたつて自家用発電を必要とする特別の事情はなくそのことによつて別段支障をきたすこともないことが窺われ、また、申請人らの温泉のための慣行水利権については、それに必要な使用水量がどれ程であるかは、申請人らにおいて主張、疎明なく、本件全疎明資料によるも明らかではない。その方式および趣旨により公務員が職務上作成したものと認められるから真正な公文書と推定すべき疎乙第五号証、第九号証、成立に争いのない疎乙第一〇号証、第二〇、二一号証、証人若林章二、同浅名源重、同千沢鶴蔵、同山田尚幸の各証言、申請人会社代表者の尋問の結果によれば、井田川計画による若土ダムからの前記既定放流量によつて、申請人らの泉源付近の山田砂防堰提における流水量は、右計画以前の山田川流域変更前同様、常時これを溢流しており、昭和四〇年五月二〇現在、右既定放流量が毎秒六トンのとき、申請人らの元湯泉源から湧出している泉液の温度は約三六、七度あつたこと、申請人会社は現に温泉プールを開設していること、必要限度以外の土砂の排除作業を行うことは、右温泉の効率を高める一方法であることが疎明される。また、右堆砂の排除については、申請人圭子において前示のように河川敷地の占用許可を受けているので、所要の手続をとれば可能であることも疎明される。

以上の事実によれば、申請人ら主張の本件取水工事中止により蒙る被申請人側の損害は、取水工事着工による申請人らの損害に比し、遙かに大であるのみならず、質的にも前者は公益につながり山田村内の多数の利益に大きな影響を与えるであろうことはたやすく推測することができるところである。

三  以上のとおりだとすると、本件申請は、保全の必要についての疎明が申請人ら提出にかかる全疎明、その他本件全疎明資料を以てしても、なお且つ十分でなく、(なお、念のため附言すれば当裁判所が、申請人らの申立の範囲内において、本件取水工事計画を変更するような仮処分を被申請人に命ずる権限はないと考える)保証をもつてこれに代えるを相当としないから、これを失当として棄却し、申請費用につき、民事訴訟法八九条、九三条一項但書を適用して主文のように判決する。

(裁判官 倉橋良寿 土屋重雄 角田清)

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